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渋谷殺人事件の共同鑑定について [事件]

渋谷バラバラ殺人事件で夫の三橋祐輔氏(当時30歳)を殺害し、遺体をバラバラにして放棄したとして、殺人、死体損壊、死体遺棄の罪の問われている妻の三橋歌織容疑者(33歳)に対する裁判が行われている。今日、その精神鑑定に関しての尋問が行われた。この事件の異様さは、妻が夫をワインボトルで殴り殺すという殺害方法、そして、その遺体をバラバラに裁断して運び出して放棄したという事実、そして、夫を殺害してからもそのボーナスを貰うために生きているという偽装工作をするなどした行為。そのどれもが異様であった。さらに、ここにきて、裁判でも異様な事態となっている。

それは、弁護側・検察側の精神鑑定を行った鑑定医が共同鑑定をしていたのではないかという疑惑が持ち上がったことだ。また、精神科医のなかからも今回の鑑定方法および鑑定と容疑者の関係に疑問の声が上がっているということも異様である。鑑定結果は両鑑定医ともに事件当時j『責任能力はなかった』としている。そして、二人の鑑定医は鑑定資料を交換したり、共同で容疑者を鑑定していた事実が判明している。私の知人の精神科医はそれらの状況に異常性を感じるという。その知人も精神鑑定などを裁判所の依頼で行うこともあるし、知り合いの弁護士などからの依頼で行うこともあるというが、裁判での相手方の鑑定医と一緒に鑑定するというようなことはありえないという。なぜなら、そこにあってはならない『予断』というものが発生するからだという。

仮に、鑑定医A氏が「○○○のような状態だ」「○○○なのかも」と思い、口にしたとした場合、同時に鑑定する鑑定医B氏がその声を聞いていると、まず、「○○○のような状態なのだろうか?」「○○○なのか?」という観点からどうしても鑑定を行ってしまいかねない。もし、B氏がまったくA氏とは別に鑑定していれば、そんな「○○○」という前提条件を持った観点から鑑定しなかったはずだから、それはすでに予断を持って鑑定していることになってしまい、そのB氏の鑑定は意味を成さなくなる。

さらに、A氏がそれを狙ってB氏を誘っていた場合はさらに問題が大きい。鑑定医に選ばれるということは、精神鑑定の専門医としての能力が十分にあると認められている医師である。にもかかわらず、このような鑑定を行えば、『予断』が生じることくらいはわかるはずだ。それがわからないで共同で鑑定したり、資料を提供しあっていたとすると、鑑定医の能力に疑問が生じるし、かりに、『予断』を生じる可能性を充分に知った上で行っていたとすればその意図が問題となる。その知人は言う。「著名な鑑定医が『予断』の危険性を認識していないはずがない。であるのに、そのような行為をしたとすると、結論がまずあって、それにあわせるために鑑定医が鑑定の真似事をしているだけである可能性すら否定できない」と。さらに、「今回の鑑定結果はすでに鑑定前から出ていたのではないか?」と疑問を呈する。また、鑑定医の結論はその鑑定医の採用する方法や判断基準などから完全に鑑定結果が一致することは稀で、今回のような重大な事象を引き起こした容疑者の精神鑑定で二人の鑑定医の判断が一致することはまずありえないのに、今回はほぼ一致していることからも、鑑定前から鑑定医同士の話し合いで鑑定の結果を決めていた可能性も否定できない。または、すり合わせが行われた可能性も否定できないと私は思う。

ここは、再度、別の鑑定医によって再鑑定するほうがよいのではないだろうか。信頼度の低い鑑定で裁判を続けても判決自体の信頼度まで低くなってしまいかねないからだ。裁判所の決断が待たれる。


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