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鎌倉を 世界遺産には 無理がある [コラム]

以前、『鎌倉は古都なのか』、『鎌倉はいつから古都になったのか』で取り上げた自称、『古都鎌倉』。


世界遺産に登録する運動をしていたのは知っていたが、その登録名称はやはりというべきか『武家の古都・鎌倉』。だから、『古都』ではないと言っているのだが、役所としては「古都保存法」などの関係もあって、一度、「古都」と言ってしまった以上、押し通すしかないのだろう。


『武家政権誕生の地・鎌倉』くらいのネーミングのほうがよかったと思うのだが。外国人向けには"Kamakura is Samurai Birthplace."と銘打ったほうがわかりやすく人気も出たのではないだろうか。


とはいえ、今回、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関である国際記念物遺跡会議(イコモス)が指摘した「鎌倉の歴史的な意味は認めたものの、それを示す物的証拠の少なさ」は克服不可能だろう。


歴史的事実として鎌倉は断絶している。幕府が置かれていた当時の鎌倉から現代まで、断絶が数度ある。


京都と比較すると、京都は多くの戦乱で焼かれても復興し続け、現代に至っている。奈良も興福寺という中核になる勢力のある寺院があり、復興の主体となることで古都のイメージを守り続けてきたが、鎌倉はどうだろう。


近年になって多くの取り組みがなされ、ナショナルトラスト運動の発祥の地ともいわれているが、鎌倉幕府滅亡後、鎌倉府がおかれたとはいえ復興は進まず、室町時代に中期には廃れ、戦国時代には見る影もなく、上杉謙信の鶴岡八幡宮参拝で八幡宮自体は修復がわずかとはいえなされたが、謙信も小田原北条氏を滅ぼすことができず、撤退。修復も半ばで取りやめになっている。その後、天下統一がなされ、自称河内源氏の末裔、徳川家康が将軍となると、鎌倉は河内源氏所縁と地ということで復興が図られたが、社寺は復興されたが、住民は多くはなかった。そして、横浜開港後、湘南地区がリゾート地として注目を浴びるようになると鎌倉に住む人も増え、『鎌倉文士』という言葉ができるほど、著名な作家や学者が住む地域になり、現在の鎌倉のイメージが出来上がった。


しかし、歴史的な価値を考えると、「世界遺産」というだけの価値があるかどうか。


まして、「古都・鎌倉」では事実に反する。


失われた文物を取り戻すことはできない。今から作れば捏造だ。それでは韓国などと同じことになる。素直にここはあきらめるべきだろう。


魅力ある町であることは「世界遺産」にならなくても担保されるのだから。
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yukikaze

皆様、nice!ありがとうございます。これからもよろしくお願い申し上げます。
by yukikaze (2013-06-05 09:21) 

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