「緑」と触れ合える「暮らし」 [コラム]
緑と触れ合える暮らしが大切だ。
そんなことは今さらいうべきことでもない。誰しもがわかっていることだ。日本には四季の移ろいがあり、それを感じることが感性を育てる。春には春の、夏には夏の、秋には秋の、冬には冬の景色がある。そして、薫りがある。そのなかに人の営みがある。それを感じることは大切だ。
しかし、それが失われてはいないだろうか。高層のマンションに四季はあるだろうか。確かにエントランスから外を見れば四季が感じられる小さな庭園を設けたり、エントランスから道路までの間に生垣を造り四季を少しでも感じられるようにはしてあるが、その程度でしかない。1階や2階、3階までであれば、四季の移ろいが多少は感じられるかもしれないが、4階以上の住戸で四季の移ろいやその季節の薫りを楽しめるだろうか。
春、若葉が芽を出し、多くの草木が花を咲かせ、人はその美しさを楽しむ。初夏には新緑が深緑になり、強い日差しを深緑が遮り、その木陰の涼しさを楽しむ。秋になると盛んだった緑は色変え、紅葉となり目を楽しませ、落ち葉となって栄光盛衰を感じさせる。冬になると常緑樹以外は葉を落とし、来年の春を待ち遠しいかのように静かに佇む。全ての風情がある。
それを感じないで人間らしい暮らしといえるだろうか。しかし、現実にはそんなものと無関係の暮らしがこの国にはある。そんな暮らしの中で人は、どのように生きているのだろうか。
子供は如何に育ち、大人は如何に癒され、老人は如何に過ごすのだろうか。緑には「癒し」の効果がある。風呂場から庭木の葉の色、薫りを楽しむことはなによりもの癒しである。そこから見る四季の移ろいを楽しむ心の余裕が必要だ。誰の心にも。憂き世の醜いものを忘れる瞬間が必要だ。ストレスの多いこの現代を生きていく以上、どこかで心が癒される清められる時間が必要だ。
日本人よ、「緑」と触れ合う「暮らし」に戻らないか。そうすれば、忘れてしまった何か大事なものに気づくはず。